思索せよ、静岡

執筆者
タカ植松
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「考える人」は時代遅れ!?

 最近、静岡のことをよく考える。もちろん、自分が今、静岡で暮らしているのもある。でも、何よりもこのコラムを書くようになってから「静岡って…」とじっくり考えることが多くなり、僕はすっかり「考える人」になっている。
 
 先日、静岡県立美術館の「幕末狩野派」展を会期切れ寸前に滑り込んだ。それに併せて、前から気になっていた同美術館の“看板”である常設のロダン館にも足を運んだ。
 
 ロダン館は、天井の吹き抜けから柔らかい太陽光が差し込むモダンな作りで、白い内装にロダンの傑作の数々が映える。そこに鎮座して僕らを待ち構えているのが、あの有名な「考える人」。思索にふける人物がモチーフの黒光りするブロンズ像を見上げていて、ふと思った。
 「思索の時間は、大事だよな」。
 
 ドッグイヤー、いまや、マウスイヤーと言われるほどのスピード感で移ろう現代社会。押し寄せる技術革新や今までにないような新しい価値観などが次々と新しいうねりを起こしている。そんな社会では、下手すると「考える」時間すら、もったいないと思われかねない。ビジネス・シーンでは、迅速なコミュニケーションで素早くアクションすることが求められる。そのスピード感が、意思決定の迅速性を産み、企業の生産性や経営の効率化を実現させるのだろう。
 
 ただ、そういうスピード感はどんな状況下でも求められるものだろうか。必ずしも、そうとは言えない。例えば、彼女や家族との連絡、友人や同僚とのコミュニケーションなんかでは、ぶっちぎるようなスピード感を必要としないはず。むしろ、じっくり考えてやり取りするべきものだろう。

「人間は考える葦」だったが…

 かつて、時が緩やかに流れていた時代―スマホがこんなにも僕らを情報過多の社会にどっぷりと漬からせることなく、それこそ、インターネットなんて存在しなかった頃を思い返してみる。その頃の世の中には、行動の前に「考える」時間と余裕があった。そして、相手を慮って自分自身にも問いかけながら進めるコミュニケーションが存在した。人間はもっとじっくりと考える生き物、それこそ、人間は「考える葦」だった。

 今の若い世代(と書くと、すごい自分が年を取った気分だが‥)は、上に引いたフランスの哲学者パスカルの名言自体を知らない。先日、自分より若い人たちと話をしていると、彼らはこの表現にキョトンとしていた。結局、「人間は自然のうちで最も弱い一本の葦に過ぎない。しかし、それは考える葦である」とフル・フレーズを引いて、その意味を説明する羽目になり、滑ったジョークの種明かしをしているようでおさまりが悪かった。

 閑話休題。とにもかくにも、時代が進むにつれて「考える」ことのあり様が変わってきているという話だ。考えること、すなわち「思考」を、人は生きながらにして当たり前のように続けている。それでは、一歩進んで「思索」はどうだろう。『大辞林』によれば「筋道を立てて深く考えること」とのこと。確かに「思索にふける」なんていうと、日常の喧騒から心身ともに逃れ、静かに考えに没頭する―そんな時間を連想する。

 そんな思索の時間を現代に生きる人々は持てずにいる。もはや、「考える人」のような思索にふける人は絶滅危惧種。この世知辛い現代社会では、テンポよく刻むコミュニケーションが望まれ、何でも即レスが求められる。じっくり読んでから返事しようとすれば、その対応は「既読スルー」といって忌み嫌われると(これも若い子から)聞かされた。斜め読みした若い社会人向けのビジネス・マナー講座的なサイトは「貰ったメールには、『読みました』とだけでも、即返事を!!」と勇ましい。そこには「よく考えてから」という考え方はない。

 

「考える人」のススメ

 本来、コミュニケーションには考える時間が必要なはずだ。考えずに脊髄反射的な受け答えだけで成立するコミュニケーションには、それこそ魂がこもっていない。昔は、心の機微に触れるようなやり取りにはじっくりと時間を掛けたものだ。例えば、気になる女の子に手紙を書くときなんかは、何度も便箋に書いては破りを繰り返した。好きな女の子に電話するにも、親の眼を盗んで公衆電話に走って受話器を上げてから、「かけるかかけないか」の逡巡…。あの頃は、便箋やポケベル、ショートメールに魂を込めていた。そこには、じっくり時間をかけ考えながら進めるコミュニケーションがあった。

 そんな世代から見れば、とにかくコミュニケーションのスピードにばかり重きが置かれるのは見ていて危うい。そんなに慌てて、コミュニケーションの質がおろそかになりやしないかと不安になる。ステッカーや絵文字を動員しての細切れのメッセージ交換では、熱いドラマやロマン、人を動かす名文なぞはなかなか産まれまい。

 ビジネスだって同じ。来たメールの処理に忙殺され、迫る企画会議の資料作りに囚われの身となって、日々ただただ細切れのコミュニケーションに時間をやり過ごす。そんな状況下では、この街や会社を元気にするパンチの効いたアイデアや企画なんて出て来やしないだろう。

 だからこそ、これを読む静岡のビジネス・パーソンには、意図的に思索にふける時間を作って欲しい。そうすることで、心が落ち着き、今まで見落としていたものが見えてくる。コミュニケーションにも幅が出てくる。著名な経済人や政治家が、座禅に親しんだり、瞑想を行う習慣があったりするケースが多いことが、何かを示唆しているのではないだろうか。

 その思索の時間にうってつけの場所が、そう、静岡県立美術館・ロダン館の「考える人」像の横。少なくとも、僕はそこでブロンズ像を見上げながら、このコラムの着想を得た(笑)。県美を宣伝するつもりはないけど、お勧め。あとは、しばらくはすごく混むだろうが、オープンしたばかりの「日本平夢テラス」で静岡が誇る絶景を眺めながら…なんてのも。

 まぁ場所はどこでも構わないので、とにかく思索の時間を持って「考える人」になろうというススメ。そんなところから、「静岡を盛り上げる」斬新なアイデアがポンと飛び出てくるのかもしれない。

 さぁ、思索するがよい、静岡。そこから、何かが変わるかも知れない。

【了】

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タカ植松:ライター、コラムニスト。静岡県にルーツを持つが、今年になって静岡東部に居を構えるまで、静岡在住歴は通算でも1年に満たない“よそ者”。海外で通算14年暮らしてきたアウトサイダーがゆえに感じることをフックに、静岡のビジネスパーソンを刺激するトピックで問題提起ができればと、今回のコラムの執筆を決意した。